はんぶんだけの地図 −青木唯剛くんへー
2011-06-07


タアくん、あれはぼくらがまだ小学生だったころのことだ。暑い暑い夏の昼さがり、野球帽のへりがながれだした汗でぬるぬるしていたね。それでもぼくらは汗をぬぐうのもわすれて、いっしんに穴をほっていた。もちよった宝ものを、例の場所に埋めるために。
 裏山のなかほど、火災をおこしたようにあかあかと映える、いっぽんの百日紅があった。その燃えさかるひさしをくぐりぬけ、けものみちのような脇みちをしばらく入ったところに、草と木の枝で編んだ、ぼくらの秘密基地はあった。こどものころのぼくらは、学校がえり、それこそ毎日のようにかよったものだった。きみとぼくはあるとき、こどもらしい思いつきから、宝ものをどこか秘密の場所に埋め、十年後にまた掘りだしに来ようという話になった。十年という時間は、ぼくらにとって、海をわたるにも等しい、想像をこえた冒険のようにおもわれたから。
 秘密の宝とくれば、宝の地図が欠かせない。ぼくらはさっそく地図づくりにとりかかった。世界の中心には、あの百日紅。そして、ぼくらの秘密基地。雑魚とりに夢中になった小川と丸木橋。カブトムシやクワガタをつかまえに勇んででかけたクヌギの林や、あまい実をわんさと実らす桑畑。昼でも暗い八幡様の森。雷魚の棲む沼。駄菓子屋。織物工場。廃墟となったタイル工場。レンゲの田んぼや菜の花畑。ぼくらの世界を彩るたくさんの場所を、つぎつぎと描きこんでいった。そして最後に、ぼくらは、宝をかくすのにふさわしい場所を決めた。
 タアくん、あのとき二枚に裂いてわけあった地図の、片っぽうは、いまでもぼくの机のひきだしのおくに眠ってるよ。百日紅の炎が、闇のなかでまだかろうじてくすぶっているはずだ。あれからもう四十年がすぎようとしている。裏山にはあたらしい住宅がたちならび、百日紅もいつしか見えなくなった。小川は護岸工事がほどこされ、丸木橋はりっぱな鉄の橋にとってかわられた。田んぼも畑も、造成地へとすがたをかえた。なにもかもがかわったよ。
 そして、きみが逝った。
 タアくん、おれたち、宝もの掘りだすの、すっかりわすれてたね。おれの地図のうえのしるしと、きみの地図のうえのしるしとを、つきあわせてみないことには宝のありかはわからないときてる。いまとなっては、あのときいったいふたりが何を埋めたのかさえ、おれには思いだせない。けれどこのごろになって、なんだかとてもたいせつなものだった気がしている。
 丸木橋がなくなっても、レンゲの田んぼがなくなっても、百日紅がなくなっても、秘密基地がなくなっても、タアくん、おれ、とまどわなかったよ。だって、そんなもの、おれたちの地図のうえに、とっくに移しておいたもの。ふたつに裂かれていようと、いつでもきみに会いさえすれば、おれたちの地図はたちまちにして世界のうえに、その全きけしきを顕現させるはずさ。いや、かおをあわせなくたって、きみがどこかに存在する、それだけで、世界はいきいきと担保される。丸木橋のした清流はほとばしり、田んぼに花は咲きみだれ、八幡様の森はぬばたまの闇と静寂に満たされる。水晶のような、よろこびや、おそれや、かなしみや、いとおしみやの、さまざまの情念が、雪解けのように胸をながれだす。ふたりの宝ものだって、おのずから地を割って、そのかがやきを地上にあらわすにちがいないのだから。
 けれどタアくん、おれ、うかつだった。きみの死を、みじんも想像できなかった。十年後という時間をうたがわなかったように、きみの存在を一度もうたがったことなかった。こんどこそほんとうに、地図は断ち裂かれた。コンパスは方角を見失い、ぐるぐるまわりつづけている。おれの地図のうえの百日紅も、あっというまに色あせた。

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[詩]

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